カテゴリー: 慰霊顕彰

  • 厚木空神社例祭(2026.4.5(日))参列

     早くも関東地方では桜の散り始めた4月5日(日)の午後、神奈川県大和市にある深見神社で執り行われた第74回厚木空神社(靖國社)例祭に、畠野会長、星副会長、小俵担当幹事の3名が参列しました。本年も、昨年同様、湘南水交会として畠野会長が玉串奉奠の機会を得ることができました。これも、本例祭に対する諸先輩の長年に亘るご支援の賜物であり、改めて御礼を申し上げます。

    さて、今回の例祭は、例年と異なり厚木航空基地から第4航空群司令部幕僚をはじめ現役隊員数名の参列が得られ、昨年までとは明らかに異なった、ピリッと引き締まった空気の中、主催の深見神社奉賛会をはじめ、第302海軍航空隊のご遺族数名及び来賓、消防団等、総勢約60名の参列を得て、厳かに執り行われました。また、例祭後には、和やかな雰囲気の下、ご遺族と現役隊員の交流等が行われ、例年に以上に参列者の会話に花の咲く会となりました。ふと空を見上げると、英霊達が微笑んでいるかのような雲と虹が現れていました。

    ご遺族の高齢化により徐々に例祭への参列が困難になってきている現状に加え、近年、深見神社に靖國社がある経緯等を知る者が少なくなっていることは誠に残念な状況です。湘南水交会として本祭事へ参列する等、引き続き支援を継続していく所存です。

    (小俵総務担当幹事記)

    【経緯等】:厚木空神社は、昭和19年11月海軍厚木飛行場の敷地内に、首都防衛の任に就いていた第302海軍航空隊の殉職将士を祭神とする天照大神を祭る社殿として鎮祭建立された。終戦時、進駐してくる米軍が社殿を破壊することを恐れた若手将校等により、祭神103柱の霊璽簿と鎮祭の時賜った宝剣(靖國神社宮司鈴木孝雄陸軍大将から奉納された靖國刀)とともに深見神社境内に奉遷された。その後、昭和26年4月7日、新たに祭神として深見集落出身で明治10年の役以来の戦没者を合祀し、厚木空神社を宝剣靖國刀に因み靖國社と改め、毎年4月第1日曜日を例大祭の日と定め祭事が行われている。(湘南水交会は、平成18年以降、本例祭に参列)

  • 令和7年度「海空会慰霊祭」に参列

     10月1日(水)、海軍航空殉職者慰霊祭(通称、海空会慰霊祭)が東郷神社の境内霊社「海の宮」において斎行され、湘南水交会から畠野会長、益田副会長、渡邊幹事長ほか1名が参列しました。

     慰霊祭には水交会本部から村川専務理事、徳丸事務局長、慰霊顕彰・援護委員の他、東郷会(永田理事長他)、下総水交会(野村会長他)、うみどり会(菊地会長他)、航翔会(森田副会長他)をはじめ各有志会員の方も含め昨年を上回る20余名が参列しました。

     「海の宮」は本年7月に修築を終えて落成したばかりでありますが、白木の香りに包まれた社殿において、例年通りの穏やかな慰霊祭となりました。

     海軍航空が創設されて以来の海軍航空殉職者の御霊は茨城県の霞ヶ浦神社にお祀りされておりましたが、昭和47年「海の宮」の創建以降はこちらに祀られて慰霊祭が行われています。

     湘南水交会は、海上自衛隊航空部隊の先達となる御霊をお慰めする本慰霊祭の意義に鑑み、令和元年以降、コロナ禍による期間を除いて参列しております。

     「海の宮」には先の大戦での激烈な戦闘で散華された英霊ばかりでなく、激しい訓練や(新機種の)開発試験で尊い命を落とされた御霊も合わせてお祀りしていることが祭主の祝詞でも触れられました。帝国海軍、海上自衛隊を通じて、弛まざる厳しい訓練や間断のない研究開発により培われた精強な部隊こそが我が国の抑止力の根幹ではありますが、昔も今も国を守る崇高な使命の背景には礎となられた多くの殉職隊員が存在することを思い起こす拝礼となりました。

     戦後80年、日本海海戦120年の節目にあたる本年に、落成間もない東郷神社「海の宮」で斎行された慰霊祭は、祀られた5千5百余柱の英霊をお慰めするとともに平穏な日常をお見守りいただくことへの感謝の時間でした。

    玉串奉奠の様子

     海空会慰霊祭は、会員の皆様にもご参列をいただける慰霊祭です。来年も10月1日に斎行される予定ですので、参列をご希望される方はご連絡をお願いいたします。

      (岡田 企画総括幹事 記)

  • 厚木空神社例祭に参列

     まもなく桜も満開と思われる4月6日(日)午後、神奈川県大和市にある深見神社で第73回厚木空神社(靖國社)の例祭(慰霊祭)が斎行され、湘南水交会から畠野副会長、星副会長、益田幹事長、小俵担当幹事の4名が参列しました。

     例年は参列のみでしたが、本年は湘南水交会からも玉串奉奠の機会についてお願いをしていたところ、主催者である深見神社奉賛会会長から代表者1名による玉串奉奠の機会を初めていただくことができました。長年に亘る諸先輩方による本例祭参列の実績が認められたものと思います。

     当日は、例祭開始時刻の13時半には大粒の雨が降りしきる悪天候でしたが、開式わずか15分後の玉串奉奠が始まる頃になると、天候は一変し雲の切れ間から春の陽光が射し込み始め、あっという間に快晴に変わりました。まるで英霊のご加護が会場全体を包み込むような、何とも不思議な体験をしました。

     本年も深見神社奉賛会をはじめ、第302海軍航空隊隊員のご遺族及び大和市長をはじめとする地元来賓、消防団等、総勢約50名の参列があり、例祭は厳かに執り行われました。

     湘南水交会としては、海自航空の先達でもある厚木空神社の御霊をお慰めする本例祭に引き続き参列し、慰霊とともに我が国の安寧と海自航空部隊の安全を祈念していく所存です。

    (小俵総務担当幹事 記)

    【厚木空神社の経緯等】

     厚木空神社は、昭和19年11月海軍厚木飛行場の敷地内に、首都防衛の任に就いていた第302海軍航空隊の殉職将士を祭神とする社殿と天照大神を祭る社殿の2つを有する神社として鎮祭建立されました。

     終戦時にはGHQにより厚木空神社の廃祀が命じられ、進駐してくる米軍が社殿を破壊することを恐れた若手将校等により、英霊167柱の霊璽簿を鎮祭時に賜った宝剣(靖國神社宮司 鈴木孝雄 陸軍大将から奉納された靖國刀)とともに深見神社境内に奉遷されました。

     その後、昭和26年4月7日、新たに祭神として深見・瀬谷集落の明治10年の役(西南戦争)以来の戦没者を合祀して、厚木空神社を宝剣 靖國刀に因み靖國社と改め、毎年4月第1日曜日を例大祭の日と定め祭事が行われています。 湘南水交会は、平成18年以降、本例祭に参列しています。

  • 特攻隊全戦没者慰霊祭に参列

     3月29日(土)、靖国神社における公益財団法人・特攻隊戦没者慰霊顕彰会主催の慰霊祭に眞木湘南水交会会長の代理として参列してまいりました。

     当日は冷たい雨が降り、花冷えのする天候ではありましたが、ご遺族を含め200名以上の関係者が参列し、大東亜戦争が終結して80年目の慰霊が厳粛に執り行われました。

     主催者による祭文では、特別攻撃隊で散華されたご英霊の崇高かつ利他の精神に対する心からの敬意と感謝が述べられるとともに、今後もご英霊の志を守り、日本の平和の維持、発展と文化の継承を受け継いでいく旨の覚悟が示されました。

     その後、詩吟とソプラノ歌手による歌「ふるさと」「翼をください」が献上され、雨音の中にあって力強く流れる調べが厳かな空間を作り出していました。在天のご英霊もさぞかし懐かしく聞き入られていたことと思います。

     当日の靖国の桜は五分咲き。雨の中にあって小さな蕾が開花にむけて静かに準備を進める光景も愛らしく映り、冷たい空気の中にあって新しい始まりも感じることもできました。本件参列の機会を頂き感謝申し上げます。

     最後に改めてご英霊の安からならんことを。

    (益田 幹事長 記)

  • 神雷部隊慰霊祭を挙行

    神雷部隊慰霊祭を挙行

     湘南水交会は、令和7年3月21日(金)13時30分から、北鎌倉の建長寺内正統院において「神雷部隊慰霊祭」を執り行いました。

     2日前は関東地方でも雪の降る寒さでしたが、当日は天候にも恵まれ、春らしい陽射しの中、足立尚史 様をはじめとする神雷部隊のご遺族・関係者の皆様や、海上自衛隊横須賀地方総監部管理部長 三好昇次 1等海佐、(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会の中村敏弘 評議員などをお迎えし、湘南水交会の有志会員等を含む34名の参加者の思いを神雷部隊829柱の英霊にお伝えすることができました。

     慰霊祭は「海ゆかば」が流れる中での「黙祷」に始まり、執行者である湘南水交会 眞木会長の「追悼の辞」、正統院の雪(すすぎ)ご住職・副住職の読経の下で参列者の焼香および拝礼を行い、80年前、大空に散華された英霊の安らかなることをお祈りしました。

     慰霊祭の後は、場所を正統院本堂に移し、ご住職・副住職にもご臨席を頂いて茶話会を行いましたが、眞木会長挨拶に続き、海上自衛隊からの参加者として横須賀地方総監部管理部長 三好1佐からのご挨拶があり、先人の遺志を受け継ぎ、我が国の平和を築くために我々もしっかりと任務に邁進してゆくという力強い決意表明をいただきました。

     今年で大東亜戦争終戦から80年の節目となる慰霊祭の実施にあたり、多大なご支援を頂いた正統院の雪ご住職をはじめ、建長寺の皆様、ご参列を頂いた皆様に改めて感謝を申し上げますともに、湘南水交会はこれからも先の大戦において祖国の礎となられた英霊のお姿とその思いを忘れることなく次の世代に語り継ぎ、慰霊を続けてまいります。 

    (渡邊企画担当幹事  記)

    【参考】

    「神雷部隊」とは、大東亜戦争における戦局が厳しさを増す昭和19年10月、ロケット特攻兵器「桜花」、その母機である一式陸上攻撃機と掩護戦闘機により編成された海軍第721航空隊の別称です。

    「神雷戦士の碑」は、昭和40年当時、元隊員で建長寺正統院住職であった竹谷行康氏(一飛曹)と元隊員のご尽力により同院墓地の背後にある洞窟の中に建立されました。以後この慰霊碑は正統院住職により守られてきましたが、平成5年には、「桜花」による特攻に加え、映画「永遠の0(ゼロ)」でも描かれた721部隊の爆装零戦による特攻等を含め、神雷部隊の戦没者829柱すべての氏名及び出撃年月日、出身県名等が彫りこまれた現在のステンレス製の碑に改修されました。

    本慰霊祭は、鎌倉水交会が昭和48年、総会を正統院で開催したのを機に、最初の神雷部隊特攻が行われた昭和20年3月21日に因んで、毎年3月21日に挙行するようになり、平成14年、鎌倉水交会が湘南水交会に大同合併した以後は湘南水交会が受け継いで実施しているものです。